ねずみ大福はのんびりしたい

抑圧された生活に40年我慢したけど耐えられなくなったおじさんのブログです

意識の変化と困難な現実

贅沢は敵である

良く聞く言葉だけど「贅沢」ってどこからが贅沢なんだろう?

 

仕事をしている時忙しくてご飯を食べる時間も取れず

残飯のような物を一分かけずに流し込みながら食べていた時期もありました

知り合いに本当にガスコンロでそこら辺の雑草を茹でて食べてた人もいました

 

こんな状況に居たこともあり

普通に3食食べれて

普通に温かい物が出てくる

腐ったものが出てこない

300円の朝定食が贅沢だなって思った時期もあります

 

服は仕事着以外ほとんど買ったことがなく

ここ数年はなんか服買ったっけ?って思うくらい買ってない

穴が空いた靴一足を今でも使い続けてる

 

娯楽や嗜好品に関しては

酒・タバコはやらない

ギャンブルもしない

アニメは無料で見れる範囲で見て

漫画も無料で読める範囲で読んで

ゲームやその他の物は興味のある無しに関係なく

セールで格安(10円セールなど)の物しか買わない

 

働く場所があれば十分贅沢なんだという人もいた

定時で上がれる日がある事に感動して

残業代が少しでも出れば感動して

それでも超過勤務のサービス残業最低賃金以下の時給で働き

 

よ考えると明らかにおかしいと思う

人から見たら何を楽しみに生きてるの?って言われる事もあった

貧困や労働環境の基準が周りと話してると明らかに違う

 

普通ってなんでしょうねー?って良く考えます

そんな基準を持っているのでいざ一人暮らしを始めて

他の人に何も言われないし今ある状況内であれば何も問題は無いはず

 

なんだけど

 

生活に必要・生活を便利にする物なら購入できる

「あっこれ食べてみたい」でも贅沢なのでは?と思って買えない

今まで無料でずっとアニメを垂れ流してただけだから、500円ほどのサブスクで自分が興味がある作品だけをおっかけて見ようが出来ない

昔楽しんでいたんだから、興味があるゲーム購入しようが出来ない

 

出来ないというのはやろうとすると頭の中がぐっちゃぐちゃになって真っ白になり酷くなると手が震えてしまいできなくなってしまう(いざやろうとして悩み続けて一ヶ月くらい続いてる)

 

根付いた意識や経験を変えようとしても中々変われないんだなと

身にしみて現在経験してます